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407: かわいい鬼嫁ちゃん 2015/09/18(金)08:49:27 ID:lbm
キラキラネームのせいで兄弟の人生が修羅場……

ちょうど流れがキラキラネームなので投下します。
とりとめのない懺悔混じりの話ですが、お付き合いください。
兄弟二人を亡くした話なので、閲覧注意です。

キラキラネーム餅の、キチな母親をもった兄弟の話になります。

私の名前は昔の暴走族の「夜露死苦」レベル。漢字三文字で57画。
字がおかしいだけでなく読み方も特殊なのでだれもまともに読めない。

おかげで子供のころから何かの受付でフルネームを書くのが死ぬほど嫌いだった。

何より、こんな名前を付けた親が嫌い。私は三人兄弟の真ん中だが、全員キラキラネーム。
私たちは三人とも幼いころからキラキラネームに振り回された。

名乗った瞬間に噴き出される。
軽蔑のまなざしで見られる。
字を見てヒソヒソされる。
そんなことは日常茶飯事だった。

兄は非行に走った挙句、盗んだバイクで事故って他界した。享年15歳。妹は18歳で病院で亡くなった。

自分たちがつけた名前のせいで三人の子供の人生が滅茶苦茶になっていると両親は周囲からどれだけ言われても認めようとせず、改名にも応じなかった。本人たちは時代に見合ったステキな名前をつけたつもり。

母親は元から過ぎるほど干渉してくる人だった。兄が他界してから磨きがかかり、授業中に携帯を鳴らしてくる始末。ちゃんと学校に通っているか、授業に出ているか、確認したいのだろうが私だけでなく一時間ごとに私と担任に連絡をいれ、返事がないと学校に怒鳴り込んできた。
そんな妻を諌めもせず、父親は「兄を亡くしたばかりで心配なんだよ」と見当違いのことを言う馬鹿だった。この人は基本的に世間体を気にする人だが、妻のいきおいに勝てず言いなりになっていた。

母親から逃げたかった私は、猛勉強して大学付属の全寮制の遠方の高校に進学を希望した。
母親は猛反対したが、両親が唯一頭の上がらない本家のジジババの援護射撃を受けどうにか希望した学校に進学することができた。名門と呼んで差し支えのない学校だったのでブランド嗜好の強いジジババの自尊心をおおいに満足させたんだと思う。
(このジジババは本家至上主義で、本家の○男(跡取り息子)の嫁にしてやるからありがたく思えが口癖だったので嫌いだった)

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347: かわいい鬼嫁ちゃん 2015/09/16(水)07:54:55 ID:xdf
双子の姉がひき逃げされてから人生が滅茶苦茶になりました。
私は妹の方。一卵性だからよく知っている人間でもない限り見分けがつかなかった。
高校に入ってすぐ姉が部活帰りにひき逃げされた。普段は自転車通学をしていた姉だが、その日は雨の日で親が車で迎えに来るのを校門から少し離れた場所で待っていた。
幸い発見が早く命は助かったけど、入院生活が続いた姉は留年した。犯人は捕まらなかった。
双子だから当然同じ学年だったけど、私が二年に進級したころ姉は不登校になった。部屋に閉じこもったまま泣きわめいて部屋を荒し八つ当たりするようになった。その時罵倒の対象になるのが決まって二年に進級した私で、自分だけ二年に進級したことが申し訳なかった。
母や兄に妹子も留年してやればよかったと言われたことも私のなかでは修羅場。
結局姉は中退。一日中部屋に閉じこもって過ごしていた。
このころから姉はリストカットを繰り返すようになった。最初は私も心配したが、次第にそれが姉のかわいそうな自分を演出するためのパフォーマンスだと気づいた。
三年になって、私は大学進学を希望していたけれど相変わらず引きこもりの姉が私の進学を快く思うはずもなく、ひき逃げに遭って以来姉を溺愛するようになった母と二人がかりで家庭内イジメが始まった。
食事に洗剤混ぜられたり、腐った物を弁当に詰められたり。私の部屋やクローゼットにわざと生ゴミを置いたりしてくれたおかげで私や衣服には腐ったにおいが染み付いた。
そんな部屋で過ごしているので、自分のにおいがイヤで毎日早朝に家を出ては銭湯に行ってから学校に通うようになったけれど、それでも制服についたにおいがとれなくて学校でもイジメを受けるようになった。
受験を控え、連日課外授業を受けていた私に17時門限を強いて、守れるわけもなく連日門限破りの罰と称して体罰をされた。
ストレスで夏休みに入る前には元は50kg台の体重が35kgになっていた。頭にハゲがいくつもできた。
父は仕事仕事で家におらず、電話をしても「忙しい」の一言で切られる。兄は無関心。救いはどこからもなかった。
何もかも嫌になって、姉が何度目になるかわからないなんちゃってリストカットをした日、私は腐ったにおいが充満する自分の部屋で本気リストカットをした。
普通の女の子の握力では手首を切っても大した出血にならないらしい。実際姉のリストカットは薄皮を切る程度ですぐに後も消える。
ただ、私は姉が事故に遭ってすぐに辞めさせられたが、バレー部だったので握力が男の子並みにあった。バスケットボールを片手でつかんで振り回すくらいのことは簡単にできた。
私は見事に動脈をぶった切ったらしい。発見したのが元医療従事者の祖父母でなければたぶん本懐を遂げただろう。神経をやったらしく、私の右手は今でも動かない。(左利きです)
母方の祖父母は遠方に住んでいて、その日は偶々姉を心配して夫婦で訪ねて来ていた。家の中で孤立していた私は知らなかったが。
もっとも私は168cmあるので、35kgはいつ死んでもおかしくないレベルだ。今思えばリストカットをしていなくてもそう遠くないうちに倒れていただろう。
祖父母が私を救急車で病院に運んだ。病室で意識が戻った時、もう何もかもがどうでもよかったので私は何一つ反応らしい反応をしなかった。
精神病院に放り込まれた。正直そのころのことは曖昧でよく覚えていない。覚えていることといえば、ああ平和だな~ってぼんやり思ったことと、面会日に祖父母が来てくれたことだ。
頭がはっきりしたのはそれから随分経ってからだ。医師の適切な治療もあって、35kgまで落ち込んだ私の体重が40kg台になった頃だと思う。
祖父母が面会に来てくれた日に当然ばああああっと、姉がひき逃げされた日から手首を切るまでの日々が頭に浮かんだ。泣き叫んで暴れた。
祖父母は私が家でどういう立場にいたのか知っていた。そのときは知らなかったが、私の戸籍は実家からすでに抜かれ祖父母の養子になっていた。祖父母は母と絶縁し、行き場のない私を拾い上げてくれていたのだ。

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484: かわいい鬼嫁ちゃん 2015/08/08(土)11:19:06 ID:5d0
中学生くらいから母親には家でトイレを禁止されていた。
遊ぶ友達も母のお気に入りの人だけ。
お前を生んだ覚えはない発言。
部活も土日に遊びに行くのも禁止。おしゃれすれば色気づきやがってと暴れる。
私が楽しそうなのが許せないらしかった。原因は不明だった。4年前まで。

父は私に無関心で父の日、バレンタイン、誕生日をやっても無視されていた。
母の事も相談しても「あいつは頭がおかしいんだ」と言って助けてくれなかった。
父は飲み屋に愛人を作り、大金をつぎ込んでいたのを4年前に知った。
母がおかしくなった要因の一つがそれ。ついに母は倒れ、入院。
そこでも病院の看護師に手を出した父。愛人、愛人の仲間(外人パブの)、ナースに大盤振る舞いしてた。
私の通帳を盗もうとしたり、お金がないのは私が無駄使いするからと周囲に漏らす父。
親族に浮気ばれしたら「お前が生まれなきゃ離婚できたのに生まれやがって」大泣き。
その時私は23歳だったが「行き遅れの女が、結婚もしねえで」と言われ呆れた。

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649: かわいい鬼嫁ちゃん 2018/07/25(水)23:04:41 ID:CiD
今から丁度20年前なんだけど
母:看護師で年収は父より↑、家事育児全部母
父:手取りの半分である10万を小遣いにして、働く以外のことはしない
カルト宗教に狂ってたのでボーナスは全額つぎ込んでた

母はこれに嫌気がさして離婚することにした
ところが父が有責にはならなかった
なぜなら家事も育児も妻の仕事であるから
むしろ小さな子供(私10歳)がいるのに働くなんて母親失格だとまでいわれた
母が働いて妻としての仕事をないがしろにするから母が悪いんだって
そして父が離婚したくないと言ったばかりに、母を脅すために父による私への虐待が始まった
幸いにして私が持病持ちで、父の宗教活動に連れ出されたとき、真夏の車の中に放置されたまま死にかけたことで離婚できたけど
逆を言えばそれまでさんざん虐待の話を持ち出しても「母の愛情が足りないからだ」と言われ続けた
世の中糞だと思った
父のせいで障害者にされたのに、障害者だから甘えた人生生きてきたんだろとか障害者特権ガーと言われる
そう思うやつは真夏の車中に放置された挙げ句内蔵失って私と対等の立場になってから言ってほしい
たった20年前、ネットがまだ完全に普及してない世の中の日本はこんなもんだったよ
なのにこの話をしても信じられないって言う人が多い
たった20年前の話なのに、何故か20年前からネットが普及してて男女平等の世の中であったと信じてる人がめちゃくちゃ多い
こんな糞だった時代を何でなかったことにできるんだか

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915: かわいい鬼嫁ちゃん 2018/07/25(水)01:02:12 ID:Mww
父と離婚して出て行った母が死んだので姉妹で葬式に参列したのだけど火葬場で母が焼かれる時に妹が高笑いを始めた
母方親戚や再婚相手とその子供皆ギョッとはしていたけど誰も諫めなかった辺り母の人柄だなあと思ったけど
その後妹が一人暮らしの家へ帰るまで延々と子供時代に母にされた虐待の数々、それを見ていながら何もしなかった父と私に対する呪詛をずっと聞かされ続けた

母は今で言う毒親で借金癖があり男癖の悪い最悪な人
事故で死ぬ直絶まで親戚中に金をタカり再婚相手の子供(男の子)に身売りまでさせようとした
何処に出しても恥ずかしい鬼畜だったので葬儀で泣く人も誰一人居なかった

2つ年下の妹は日常的に暴力を振るわれており私からのおさがりでスカートやふりふりした服は一切妹にまわさなかった
「二人目は男の子が欲しかったのに失敗しちゃった」と母はよく言ってた
妹に対する体罰は子供の私から見ても相当なもので覚えている限りでも父や祖父母が買い与えてくれた玩具が壊れるまでそれで殴り続けたり
枕やタオルで窒息寸前まで締め上げたり階段の一番上から突き落としたり
妹曰く私が母が食べていたチョコをおねだりしたら普通に貰えていたのに妹は貰えずこっそり1粒だけ盗み喰いしたら吐くまで腹を殴られたり
休日公園に遊びに行きたいと言っただけで嫌味を言われ友人から借りて練習して自転車に乗れるようになったと言ったら「姉は乗れないのに」と殴られ
真冬にパンツ一枚で父が帰ってくるまで玄関前に閉め出され同じ団地に住んでいる同級生に見られ以降腫れもの扱いを受けた事もあったそうで
「お前は可愛くないしいくら頑張っても無駄何の才能も無い嘘吐きで最低な人間だ」とずっと言われていたらしい
姉の私は愛玩子と言うより発達障害を持っているので過保護に育てられたと言った方が正しいかも
その発達障害も子供の頃は学校側から言われていたのに頑として母が認めず検査も受けてなかったので
大人になってから正式にわかったものだけど子供の頃から人付き合いが苦手で大人しい子だったと思う
そんな私と対照的に活発でチャレンジ精神豊富で友達作りに励み目立つ妹に矛先が向いてたまたま免れていただけなのかもしれない

両親が離婚したのは妹がまだ10歳かそこそこの頃だったけど虐待をよく知らなかった父に対して癇癪を起こすようになって
今度は父に殴られるようになってた(これは教育の範囲内だと思うし妹も理解はしている様だけど父は力加減が出来ない人だったらしい)
せめて私が両親が離婚する際に母の妹への仕打ちをはっきり父に伝えられていれば
父や私に知識があり適切な対応を妹にしてやれていればと今更になって思う
精神的に不安定なまま妹は今日まで生きてきた事をあれだけ間近で暴力を見てきた癖に
母が死んで妹が笑いながら全部ぶちまけるまで理解しきれなかった事を今更になって凄く後悔している

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